おばあちゃん | RYOHEI YUSA / 遊佐 涼平



おばあちゃん

   

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6/24日曜日の朝、母親からの着信でスマホが鳴った。

僕はまだ布団の中で半分寝ぼけながら電話に出る。

 

「おはよう」その言葉を言う前に、母親の泣き声が聞こえた。

まだ覚醒していないその頭で状況を整理する。

母親は電話越しにただただ泣いてる。

 

…..状況を把握するのに時間はかからなかった。

 

 

祖母が亡くなった。

享年87歳。

ガンでした。

 

 

母親と交わした言葉はあまり覚えていない。

とりあえず「すぐに帰る」と伝え、「うん、ありがとう」と返事をもらう。

 

少し自分の気持ちを落ち着かすためにオーナーの奥さんに電話をし、状況を伝える。

しかし、伝えようとしても「おばあちゃんが亡くなりました。」このフレーズが口から出ない。

出てくるのは涙だけ。

それでもなんとか現状を伝え、帰省の準備に取り掛かる。

 

日曜日と言うこともあり、ご予約も多く入っていた。

すぐにお客様には状況を伝え、日にちを変更していただいた。

 

帰りの新幹線の中で祖母と過ごした日々を色々思い返す。

怒られたことなど一度もないし、常に孫たちに優しい可愛いおばあちゃん。

全然実感がわかない。

 

伯父の家に到着すると、玄関前で伯父とばったり会った。

その手には何本かのきゅうりを手にし僕に話しかける。

「ばあちゃんが最後に作っとったきゅうりじゃ。涼平、持って帰るか?」

表情は泣き疲れ、声にも全く力がない。

そのきゅうりを見ながらまた涙が出る。

 

部屋に入ると、そこには祖母がいた。

 

4月に病院で会ったのが最後だ。

その時はサプライズで参上したので、祖母はびっくりしてた。

『遠いのによー来てくれたねぇ。』

そう言いながら泣いてくれた。

 

なのに、この日は何も言ってくれない。

笑うことも、泣くこともない。

 

祖母の隣に座り、「ばあちゃん来たよ」って声をかける。

母親もすぐ隣に来て、「お母ちゃん、涼平が来てくれたよ」って声をかける。

でも『涼平、よー来たねぇ』その声は、もぅ聞こえない。

 

祖母の隣でどれくらい泣いてただろうか。

時間の感覚もあまりなくなってた。

 

地域の方が最後のお別れに集まって来たので、一度祖母の部屋に戻る。

そこはたくさんの孫たちからもらったお土産や写真で溢れてた。

従兄弟と集まって一つ一つ手に取る。

「涼平 小6 修学旅行」そんな感じでお土産の裏に綺麗な字で書いてある。

正直渡した記憶がないものもある。

ばあちゃんまめだったんだね。

 

この日の夜は母親を一旦家に連れて戻った。

話を聞いてると、最後のその時まで母親が祖母の手を握ってたみたいだ。

体調が急変した後に、母親は病院に勤めていることもあり、心配になって

看護師さんにも「まだこのまま亡くなったりしないですよね?」と何度も確認したみたいだ。

看護師さんからもまだ大丈夫ですよと…..

 

それでもどんどん体は動かなくなり、声も出なくなり、母親は必死に声をかけた。

……….でも、そのまま祖母は静かに目を閉じた。

 

 

 

次の日の夜に通夜があった。

その仏葬の前に、祖母の体を綺麗にする「湯灌(ゆかん)」というのをした。

その中で、僕は髪を切り洗髪をさせてもらった。

 

アシスタントの時に祖母の家のお風呂場で髪を切らせてくれた事を思い出した。

『すごい上手じゃねぇ。おばあちゃん気に入ったよ。涼平ありがとうねぇ』そう言われた記憶がある。

今思い返したらそんなわけない。ヘッタクソだったはず。

それも夏場に大きめのゴミ袋から頭だけ出してカット。

祖母は汗でびちゃびちゃになってた。

でもすごく嬉しそうに喜んでくれた。

忘れる事のない良い思い出。

 

湯灌の時のカットは涙でどう切ったかなんて覚えていない。

シャンプーはゆっくり…..丁寧に…..マッサージもしてあげた。

こんなに悲しいシャンプーをしたのは初めてだ。

でもきっと『気持ちがいいねぇ』って喜んでくれたと思う。

 

通夜には300人くらい集まってくれた。

ばあちゃん、みんな別れを惜しんで泣いてたよ。

 

その日は祖母と一緒にみんなで最後の晩ご飯を食べた。

伯父から『皆でわいわいするのが好きじゃった人じゃけぇ、しんみりするよりこっちの方がえぇ。』

という事で、お酒を飲みながらわいわいと思い出話に花を咲かせた。

ばあちゃんも話聞いてたよね。楽しかったじゃろ?

 

なのにまだ受け入れられないのか、現実逃避してるのか、

ふと『あれ?ばあちゃんは?』と、もぅいないのに探してしまう。

親戚一同集まってる中に姿がないというのはやはり考えられない…..

 

 

 

次の日にお葬式を行った。

この日も300人くらい集まってくれた。

その中で前日の夜に書いておいた、祖母への手紙を読んだ。

後々従兄弟に聞くと『涼平くん泣いてて何喋ってるんかよく聞き取れんかったけど、気持ちは伝わった』って。

まぁそうなるよね。なんかこれで最後かと思うとね。

僕以外の孫たちからの手紙も読まれたけど、本当に皆に愛されてたんだなとつくづく感じた。

 

式の最後にピアノの先生をしてる従姉妹とシンガーソングライターの弟で、

祖母の好きだった曲を演奏し、贈った。

ばあちゃん歌が好きだったからね。聞いてくれたかな。

 

その後に祖母の写真をスライドで流した。

まだ僕たちが生まれる前…..そんな写真から始まり、たくさんの思い出が詰まってた。

写真を見ていると、途中から赤ちゃんや子どもが登場してくる。

祖母はすごくいい笑顔をしてる。僕たち孫の誰かだろう。

ばあちゃんこんなに幸せそうな笑顔をありがとう。

僕たち孫も本当に…..本当に幸せだった。

 

 

「死」に対しての「覚悟」って何だろうね。

母親にとって祖母とは一番の相談相手であり、心の支えであり、何より大切な存在だった。

もし祖母がいなくなったらその後の母親が心配だったから

余命宣告を受けて、先が長くないと聞いた時は同時に母親のことも心配になった。

だからいずれ来るその時のために「覚悟しとくんよ。」と何度も母親に言った。

 

僕自身も気持ちの整理をしておけば、

突然いなくなられるより、まだ受け入れることができるだろうと…..そう考えていた。

 

でも、そんな覚悟は全くもって意味がないことを知った。

 

もぅ笑顔を見ることも、涼平って呼んでくれることもない。

それがこんなに凄まじい寂しさと悲しさ、やるせなさを感じるとは知らなかった。

その感情を知らないクセに母親に偉そうに言っていたと思うと、申し訳なく思う。

 

それにすごく後悔してる。

亡くなる前日の日に母親から「おばあちゃんと電話で話す?」と聞かれた。

僕は「いいよ、また今度で」って返事をした。

母親から元気な写真ももらってたから…..

次があると思ったんよ。

 

それが最後になるなんて夢にも思わなかった。

もぅ一回声を聞きたかった。

ばあちゃんごめん。

正直、まだ気持ちの整理もついてない。

秋にも旅行に行こうって言ってたのに。

 

 

この記事も少しずつ…..少しずつ書いた。

書いては涙が出るから次の日に回し、

次の日も途中でやめ、またその次の日に回す…..その繰り返し。

 

気づいたらもぅ10日も経ってるな…..

お客様にも心配されてる。

ブログの更新ずっと止まったままだから。

 

そろそろ…..始動しないと。

 

最後に家族みんなで写ってる写真を探したらこれしかなかった。

妹の結婚式の時。

 

 

ばあちゃん可愛いなぁ。

 

ずっとこうやって赤ちゃんの時から見守ってくれてたんだよね。

ありがとう。

これからも頑張るよ。

 

どうか安らかに眠ってね。

おやすみばあちゃん。

 

 

 


 

 

この記事を書こうか迷いました。

お客様に心配をおかけしても悪いなーとか、

内容的にどうなんだろう…..とか。

 

でも自分の気持ちを整理する意味でも、

やはり書くことに決めました。

 

当たり前に存在する人が、明日も、明後日もそこにいるとは限りません。

目の前の人を、家族を友達を仲間を…..

大切にしたいと思います。

 

そして、ブログですが、7/9(月)まで休みます。

また10日(火)から今まで通りゆるーい記事を再開します。

 

『ブログどうされたんですか?』

と、たくさんお客様からも声をかけていただきました。

ご心配をおかけしました。

 

記事がとても長くなりましたが、

見てくださった方にお願いがあります。

この一瞬だけでも、祖母にお祈りを贈っていただけると嬉しいです。

 

Green 遊佐涼平

 

 

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